ラーメンが趣味? ('03/01/30)
 なんか趣味って聞くとイヤである。特に、趣味が高じてミエや競争心が発生するのがキライである。『いくら金をかけたか?』に終始するところがキライである。また、金をかけないと趣味を継続できないヤツもイヤである。同じ趣味で群れる輩も大嫌いである。趣味を群れ作りの道具にする輩も大嫌いである。

 だから私には趣味が無い。いや、持てない。なんか『趣味』と言ったとたん、胡散臭くてえげつない気がしてこそばゆい感じがする。

 以前も何かの折に書いたが、かつての私の趣味であるオーディオを例にあげてみる。
 とにかく病的なまでに音響設備や環境にこだわった。仲間よりいい設備を揃え、音像がどうの定位がどうのとか、仲間同士で比べ語り合った。もちろん金も掛かる。『幾ら金をかけたか』というのも趣味仲間の間の地位を確立する上で重要な要素だ。仲間がいい機材をそろえると、それ以上を求めた。そのためだけにバイトした。負けるのが悔しく、そしてナゼか不安だった。

 設備にちょっと工夫を凝らしたりパーツを替えたりして、改めて音楽を聴くとそれだけで何か楽しい気分になった。

 また、オーディオの性能をフルに引き出そうと、スキでもないクラッシクのレコードを集めたりなどしているうちに、(クラシックはダイナミックレンジが広く、中でもワンポイントマイクで録られているものについては定位も優れオーディオの実力を知る上での試金石になる。)ついには“ラジカセ”などでは音楽の聴けない体(耳)になっていた。気が付くと、いつしか手段が目的になっていた。

 ところが、ある期を境に(詳細はコチラ)『音楽が聴ければそれでいいじゃん』と、ただ純粋に『音楽』を聴いた。心に纏っていたコダワリという名の重たい鎧を脱ぎ去り、身軽になった。“目的”に目覚めたのである。

 悟りを開き吹っ切れた状態で聴く音楽は、コダワリに埋没し麻痺していた感性に直に来る。『コレでいいんだ…』

 それ以来、趣味ってものが解らなくなってしまった。それに取り組んでいるうちは気が付かないが、後で考えると、目的への到達を妨げる足枷(あしかせ)にも感じられる。

 だから『趣味はなに?』と訊かれるとしばしば返答に困るが、このごろは『趣味は特にありません』と答えることにしている。

 ところが、最近知らず知らずのうちに、私の忌み嫌う『趣味』に自らのめり込んでいってる事がある。“ラーメンの食べ歩き”である。
ご存知のように、私はラーメンサイトを公開している。中身は日記程度(あるいはそれ以下)の物だが、ラーメンを食べながら、味、内容、雰囲気、座席数、駐車場の規模、その他を記録しているうちに、なんだか肩に力を入れて食べてる自分に気が付いた。
ラーメン(ラーメン屋)に集中し過ぎて、食べることを楽しんでいないのだ。

 ラーメンが好きなのに楽しめていない… コレはいけないことだ。
たぶん、サイトに載せ人に見せることを前提に、少しでも正確な情報を伝えようとするから肩に力が入ってしまうのだ。
だが、あくまで個人的な記録の位置づけだ、別に力を抜いて書けばいいじゃないか?
だったらナゼWebに公開する?記録だったらメモ書きでもいいじゃん。公開するからには、ある程度完成度を高めねば…

 どうしたらよいのだろう?ジレンマに陥ってしまう。とりあえずラーメンでも食べながら考えるとするか。